なぜ人には自分なりの原則が必要なの?鬱兔は以前、世界は白か黒かだと思っていましたが、人にはさまざまな面があると気づき、少しずつ相手の立場で考え、寛容になることを学びました。でも寛容は底なしという意味ではありません。原則のない善人は、搾取されるお人よしになってしまいます。自分の原則は、グレーな世界で迷わないための土台。誰かがその一線を越えてきたら、必ず守り抜きましょう。
※鬱兔による中国語の原文を翻訳したものです。
白黒思考からグレーゾーンの理解へ
以前の私は、世界は白か黒かで、あらゆる人や物事はどちらかの側にしか立てず、中間はあり得ないと思っていました。そういう考え方だったので、物事の見方もかなり厳しかったのです。
たとえば身近な人がひとつ間違いを犯すと、それまでの好感をすべて取り消し、「悪い」側に分類して、それ以来連絡を取らなくなることもありました。
でも、いろいろなことを見るうちに、人は多くの出来事に直面するとき、ほかの要因に行動を左右されることもあると、少しずつ理解できるようになりました。その要因は、ときにやむを得ない事情や、さまざまな苦しい事情から来ています。理屈だけで善悪を二分するのは、とても残酷で人情味のないことなのです。
人には千差万別の面があるのに、どうして単一の基準で目の前の人の善悪を判断できるでしょう?ましてや、ひとつの理由やひとつの過ちで、その人の価値をすべて否定するなんて。
寛容さが人を優しくする
そう理解してから、私は相手の立場で考えられるようになり、よりやわらかく寛容な心で人や物事を見られるようになりました。とがった殻を脱ぐと、周りの人の変化も感じられ、良い循環が生まれました。
人と人のあいだに思いやりと寛容さが増えれば、自然と優しくなれるのです。
でも、こうした心の変化はすぐにできるものではなく、少しずつ理解し、感じ取っていくもの。いわゆる「成長」というものです。
では、善悪はどう判断する?
ところが変わっていく過程で、たいてい新たな戸惑いにぶつかります。人や物事にこれほど多くの面があるなら、いったいどうやって誰が正しく誰が間違っているのかを判断すればいいのか?基準は人それぞれなのに!
そんなときに必要なのが、いわゆる「自分なりの原則」です。
自分の原則:善人にも境界線が必要
境界線のない善人は、みんなに搾取され、自分ばかりどんどん苦しくなる「お人よし」になってしまいます。だから、どんなに話のわかる人でも、最後の防衛線は引いておくべきです。言われたことを何でもやり、信じろと言われたことを何でも信じるのではなく、「原則」を持ってこそ、自分を保てるのです。
この「原則」こそが、グレーな世界で迷わないための土台であり、やがてあなたの一生を左右する大切なものになります。
この「原則」の手前では、あなたは善人でいていい。でも誰かがこの一線を越えてきたら、必ず自分の「原則」を守り、誰にも踏みにじらせないでください。それはあなたの尊厳であり、あなたの人柄を形づくる大切なもの。それを守ってこそ、人から尊重されるのです。
今回の話は少し抽象的ですが、誰かに伝わって何か感じてもらえたら、それだけで価値があると思いますXD
よくある質問
自分が人として生きるうえでの最低ラインです。グレーゾーンの多い世界で迷わないための支えになり、一生の判断にも影響します。
寛容とは他人のさまざまな面を理解すること。でもまったく境界線がないと、搾取されて自分ばかり苦しくなるお人よしになってしまいます。
人には千差万別の面があり、行動も多くの要因に左右されます。単一の基準やひとつの過ちで、その人のすべてを否定することはできません。
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著者について
鬱兔は台湾のライトノベル作家・小説家VTuber。業界歴10年以上、紙の商業出版は40冊に上ります。『遺失的情書』で台湾文化部の若手創作助成(2022年度)を受賞。『嘿!聽說妳在鬼島當作家』シリーズでは、台湾で小説家として生きる日々を綴っています。

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