鬱兔が本気で小説を書き始めたのはなぜ?十七歳で大学受験を控えていたころ、鬱兔の母親は病気で亡くなりました。その日から、頭の中にたくさんの思いや感情があふれ出し、初めて本気で何もかもを書き留め、記録したいと思ったのです。母が自分に希望を託してくれたからこそ、十数年も書き続けてこられたのかもしれない、と彼女は考えています。
※鬱兔による中国語の原文を翻訳したものです。
十七歳の年、母が旅立った
私が十七歳で、大学受験を目前に控えていたころ、母は永遠に私のもとを去りました。
病気で、見つかったときにはもう手遅れでした。半年間苦しんだ末、この世を去りました。
当時の私はまだ無邪気で、こんな悲劇が自分に降りかかるなんて思いもせず、治療を受ければ母はすぐに一緒に家に帰れると愚かにも信じていました……だからある日学校から帰って、息も絶え絶えの母が家に運ばれ、家具がどけられて大きな空間ができているのを見たとき、一瞬悪い夢を見ているのかと思いました。
死亡時刻が記され、その夜、私は寝返りを打つばかりで眠れませんでした。
まったく現実味がなくて……
まるで夢のようでした。
でも現実はねじれ、夢の輪郭もぼんやりとかすんで……
当時の私は、わけもわからないまま家の年長者について葬儀の準備をしていました。毎日毎日、何かの呪いにかかったかのように、ひたすら紙の蓮の花を折り続けていました。
紙の蓮の花をたくさん集めれば、奇跡が起こるとでもいうように……でも残念ながら、やはりこの世に奇跡なんてものは存在しませんでした。
本気で小説を書き始めた:すべてを書き留めたくて
その日から、以前はすぐに眠れた私の思考が駆け巡るようになりました──たくさんの考え、たくさんの感情が、沸騰したお湯の泡のように頭を埋め尽くし、まるで誰かに何かのプログラムを埋め込まれたかのようでした。
眠りは浅くなり、感情が爆発し、頭の中に詰め込まれた言葉や感情をすべて書き出したくてたまらなくなりました。
以前も小説を書いてはいましたが、あのときほど本気で書きたい、すべてを記録したいと思ったことはありませんでした──
母が私に残したもの
母も日本語が大好きでした。私がまだ幼いころ、姉と私に五十音を教えてくれたのを覚えています。のちに私が日本語に興味を持ったのも、きっと母の影響を知らず知らずのうちに受けていたからでしょう。
母の字はとてもきれいで上品で、手書きで何かを書くのが好きでした。
自然や動植物も大好きで、小さいころはよく私たちを連れて自然の中を探検し、たくさんの花や草、薬草、野生の果実を教えてくれました……薬草園に植物を摘みに行って、そこでときどき出される新しい料理を味わったこともあります。
記録をつけるのも好きだったそうです。もしかしたら母も作家になりたいと思ったことがあったのでしょうか?
母が私に希望を託してくれたから、母が旅立ったその日から、突然書くためのひらめきを得たのではないか、と考えたことがあります……そうして十数年書き続けてきました。今も自分の望む方向へ進み続けていられるのは、母のおかげなのかもしれません。
クリエイターにとって優しい環境ではないけれど、それでも私は頑張り続けます。いつか天国のあなたに誇りに思ってもらえますように。
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よくある質問
以前から小説は書いていましたが、十七歳で母親が亡くなってから初めて、頭の中の考えや感情をすべて書き留めたいと本気で思うようになり、それから十数年書き続けています。
母親は幼い彼女に日本語の五十音を教え、自然や手書きの記録を愛していました。鬱兔は、自分の日本語への興味はおそらく母親の影響を知らず知らずのうちに受けたものだと考えています。
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著者について
鬱兔は台湾のライトノベル作家・小説家VTuber。業界歴10年以上、紙の商業出版は40冊に上ります。『遺失的情書』で台湾文化部の若手創作助成(2022年度)を受賞。『嘿!聽說妳在鬼島當作家』シリーズでは、台湾で小説家として生きる日々を綴っています。
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