台湾ローカルの小説を読むと気恥ずかしく感じる人がいるのはなぜ?鬱兔と視聴者は5つの理由を整理しました。細部が身近すぎてかえって入り込めない、ローカル感が表面的、古くさいのに無理に若者の口調をまねている、翻訳書に慣れていて違和感がある、そして台湾・アメリカ・日本・中国の要素のバランスが中途半端、というものです。表面的にならずに台湾らしさを出すには、牛肉麺の屋台、朝ごはん屋のLサイズのアイスミルクティー、手に持った鶏排(ジーパイ)、車の間をすり抜けるバイク、上着を前後逆に着る姿など、小さな描写をちりばめるといいでしょう。多様な文化が溶け合っていること自体も、台湾らしさのひとつなのです。
※鬱兔による中国語の原文を翻訳したものです。
台湾ローカルの作品を読むと気恥ずかしい?
これは以前の配信で皆さんと話し合ったテーマです。きっかけは、ある受講生と話していたとき、台湾ローカルの創作を読むとちょっと気恥ずかしい、という話がたまたま出たことでした。
台湾の創作者として、もちろんとても気になります。理由を聞いてみると、彼はこう言いました。「『王小明』『陳小美』みたいにローカルすぎる名前や、『台中』『高雄』みたいな台湾の地名を見ると、一気に物語から現実に引き戻されるんです。興ざめしちゃって」
私は「王小明」みたいな都市伝説レベルの名前はつけませんが、のちの作品では、もっとローカルにしようと物語の舞台を台湾にしたり、実在する場所を使ったりすることがあるので、台湾の地名が出てくるのは避けられません。
ローカル小説が気恥ずかしく感じる5つの理由
その後、配信で「ローカル創作の気恥ずかしさ」について皆さんに聞いてみたところ、次のような理由にまとまりました。
1. 細部が身近すぎて、かえって感情移入できない
2. ローカル感が表面的
3. 古くさいのに、無理に若者の口調をまねている
4. 翻訳された外国の本に慣れていて、ローカルの作品になじめない
5. 台湾らしくもアメリカらしくも、日本らしくも中国らしくもなく、バランスが中途半端
表面的な台湾らしさのキャラクター
このあたりはだいたい想像がつくと思いますが、2つ目については少し話しておきたいと思います。たとえば、台湾ローカルのものといえば「青と白のビーチサンダル」「タンクトップ」「汚い言葉」が思い浮かぶとして、この3つを属性にしてキャラクターを作ったら……。
今、私の頭に浮かんでいるのは、タンクトップに青と白のビーチサンダルをつっかけ、だらしなく片足に体重をかけて立つ男が、凶悪な目つきでこちらを見て、さげすむように「何見てんだよ、コラ!」と吐き捨てる光景です。
ええ、確かにすごく台湾っぽいです。でも私はこのキャラクターを好きになれません。もし好きだという人がいたら、わ、私からは何も言えません。好みは人それぞれですから(笑)
なぜこういうキャラクターが好きになれないのか。それは台湾らしさが表面的すぎるからです。たとえば、分厚い眼鏡をかけて、前髪が長く、制服をきっちり着て、いつも分厚い本を何冊も抱えている「優等生」がいるとします。でも成績は平凡で、クラス委員でもない。つまり見た目は優等生っぽいけれど、中身はただの普通の人なのです。
だから、キャラクターのギャップを狙うわけでも、あえて型どおりにするわけでもないのに、どうしてそんな偏った設定にこだわるのかわかりません。しかもその設定は好感も持てない。脇役なら笑いを取れるかもしれませんが、主人公となると、私にはちょっと受け入れられないのです。
小さな描写で台湾という舞台を彩る
では、台湾らしさを出したいけれど表面的にはしたくない場合、どうすればいいのでしょう?
その日の話し合いでは、小さな描写を巧みにちりばめて「台湾にいる」という舞台を感じさせる方法も出てきました。
たとえば、台湾だとはっきり書かなくても、「牛肉麺の屋台」「朝ごはん屋のLサイズのアイスミルクティー」「主人公が何気なく手に持っている鶏排(ジーパイ)」「廟の前の魯肉飯(ルーローハン)を食べに行こうとせがむ」といった描写を入れる……あれ、どうして食べ物ばかりなんでしょう。台湾は本当にグルメの宝庫ですね(笑)
交通でいえば、車の間を縫うように走るバイクや、上着を前後逆に着る姿なども、かなり台湾らしいです。今の台湾社会のさまざまな姿をよく観察すれば、台湾の暮らしにぴったり寄り添い、読むとまるでその場にいるような、本物の台湾らしさを描けるはずです。
もちろん、ほかにも表現の方法はたくさんあります。たとえば語尾に「餒(ネイ)」をつけるのも、キャラクターを表現するひとつの方法です。
文化のるつぼも、ひとつの台湾らしさ
どの属性も中途半端だという点については、正直、それもひとつの台湾らしさなのかもしれません。地理的な位置と歴史のおかげで、台湾は多くの文化のるつぼです。しかも歴史がそれほど長くないので、文化の厚みを育む時間が足りず、こういうどれとも言えない状態になっているのでしょう。
ほかの地域も、歴史の荒波や新しい文化の衝撃を経て、長い時間をかけて積み重なり、少しずつ自分たちの文化になっていったのではないでしょうか。創作も同じだと思います。私たちはまだ過渡期にいて、自分たちのものになるまでには、もっと多くの挑戦と積み重ねが必要なのです。
だから、今の時代を生きる作家として、焦る必要はありません。自分だけの作品をひたむきに作り、一作ごとに少しずつ殻を破ってみる。長い年月の積み重ねが、あなたをもっとすてきな自分にしてくれるかもしれません。
よくある質問
細部が身近すぎて入り込めない、ローカル感が表面的、古くさいのに無理に若者ぶった口調、読者が翻訳書に慣れている、そしてさまざまな文化要素のバランスが中途半端であることです。
ステレオタイプでキャラクターを作るのは避け、牛肉麺の屋台、朝ごはん屋のアイスミルクティー、鶏排、バイクが行き交う街並みなど、日常の小さな描写で台湾を感じさせましょう。
焦らず、自分だけの作品をひたむきに作り、一作ごとに少しずつ挑戦していきましょう。長年の積み重ねが独自のスタイルを形づくります。
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著者について
鬱兔は台湾のライトノベル作家・小説家VTuber。業界歴10年以上、紙の商業出版は40冊に上ります。『遺失的情書』で台湾文化部の若手創作助成(2022年度)を受賞。『嘿!聽說妳在鬼島當作家』シリーズでは、台湾で小説家として生きる日々を綴っています。

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