書くことで癒やされるって本当?創作は自分を癒やせるの?癒やせます。作品は鏡のように創作者の内面を映し出します。自分が創った世界で願いをかなえ、心残りを埋めることは、ひとつの癒やしです。鬱兔は17歳のときに母親を病気で亡くし、その悲しみを初めての長編『絶命拍檔』に書き込みました。創作で痛みを吐き出しても、復讐に向かう必要はなく、自分の力で陽の当たる道を切り開けると彼女は伝えています。
※鬱兔による中国語の原文を翻訳したものです。
講評配信で出会ったある作品
これは講評配信をしていたときの出来事です。
香港の作者さんが講評イベントに短編を投稿してくれました。配信時間の都合で最後まで読めませんでしたが、読み解いた部分だけでも、作者の現実へのやるせなさと憤りが十分に伝わってきました。
作者は現実ではかなえがたい願いを、創作の世界で実現したかったのでしょう。だからこそ、物語の一部の描写があまりに残酷で、当時の私はどう反応すればいいのかわかりませんでした。
書くことは癒やし:作品は心の鏡
作品は鏡のように、創作者の内面世界を映し出します。そして書くことは癒やしの手段でもあります。心理学には、まず事実を一人称で自分の状況や体験として書き、次に二人称の視点で、最後に三人称で書くという方法があります。
視点が遠ざかるにつれて、その出来事も遠くなったように感じられる――だからこそ、一人称の物語は読者を引き込みやすいのです。
話がそれましたが、とにかく自分が創った世界で願いをかなえたり、心残りを埋めたり、無念を晴らしたりするのは、感情豊かで想像力あふれる創作者にとってごく普通のこと。私もそうしています。
自分を励ますために書いた作品
創作の道で迷っていたころ、私は自分を励ますために『我的室友是阿飄』を書きました。いつも自分は運が悪いと落ち込んでいる友人を励ますために『守護天使全年無休』を、恋に傷ついた友人のために『灰姑娘的玻璃舞鞋』『帶刺薔薇』『戀愛心理學』なども書きました。
『絶命拍檔』:母を偲ぶ作品
正直に言うと、私の初めての長編『絶命拍檔』の登場人物は、実際の私の性格にいちばん近いです。初めての長編だったからか、自分に関わるいろいろなことを自然と込めていました。今読み返すと技術的には未熟ですが、昔の自分を思い出させてくれます。
その作品は、ひとりぼっちの主人公が、ある日足手まといの相棒と出会ってあちこち冒険する物語です。主人公は少しずつ心を開いて人との絆を育み、ヒロインらしき少女――彼の母の若い頃にそっくりな少女――と出会い、その裏に隠された陰謀を解き明かしていきます。
そう、これは実は母を偲んで書いた作品なのです。
当時私はまだ17歳で、母が病気で亡くなりました。
幸せな家庭に生まれた私が、初めて人生の無常に直面した出来事でした。当時の私は、母は必ず治ると固く信じていました。腫瘍はすでに転移し、十数センチもの大きさになっていたのに、世間知らずな私は何事にも楽観的でした。息も絶え絶えの母が家に帰ってきたその日になって、ようやく毎日の敬虔な祈りなど何の役にも立たなかったのだと悟ったのです。
『絶命拍檔』のラスボスは、かつてはとても敬虔だったのに、最後には堕天使になってしまう。その憎しみの気持ちを、私はすべて物語に書き込みました。
陽の当たる道を切り開く
現実の私たちは、ごく普通の人間にすぎません。
傷つき、裏切られ、憎しみや悔い、欲や嫉妬を抱き、無力感にさいなまれます。
あなたの悲しみを消すことも、何かをしてあげることもできません。ただ、これからの日々が少しでも順調でありますように、あなたが憧れる未来にもっと近づけますようにと祈ることしかできません。
でも、それがあなたの物語の主人公のような、復讐という形でないことを願います。
たとえ神が手を差し伸べてくれなかったとしても、私たちが悲しみと怒りに沈まなければならないわけではありません。自分の力で、陽の当たる新しい道を切り開けないわけでもないのです。
よくある質問
作品は創作者の内面を映し出します。物語の中で願いをかなえたり、心残りを埋めたり、感情を吐き出したりすることで、気持ちを整理し解放できるからです。
あります。自分を励ますために『我的室友是阿飄』を書き、初めての長編『絶命拍檔』も、17歳のときに病気で亡くなった母を偲んで書いたものです。
怒りや悲しみを正直に書いてかまいませんが、物語を復讐だけに向かわせる必要はありません。鬱兔は、創作が陽の当たる新しい道へと導いてくれることを願っています。
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著者について
鬱兔は台湾のライトノベル作家・小説家VTuber。業界歴10年以上、紙の商業出版は40冊に上ります。『遺失的情書』で台湾文化部の若手創作助成(2022年度)を受賞。『嘿!聽說妳在鬼島當作家』シリーズでは、台湾で小説家として生きる日々を綴っています。

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