※鬱兔による中国語の原文を翻訳したものです。
作家の夢を追いかけてどん底に落ちたら、どうする?鬱兔が大学を卒業したとき、作品は出版社に塩漬けにされ、翻訳の仕事も少なく、アルバイトで食いつなぎながら親戚の冷たい目にも耐えなければなりませんでした。彼女は半年だけ夢に賭けると決め、絶望の中を耐え抜きました。あのとき打った一文字一文字、流した一滴一滴の涙が今の自分をつくった、と彼女は言います。
大学卒業、夢と現実のはざまで
大学を卒業するころ、私は夢と現実のはざまでもがいていました。
当時、作品はまだ出版社に塩漬けにされていましたが、そこは私にとって一番の出版社だったので、いつか出ると信じて辛抱強く待っていました。せめて在学中に本を出せれば、この道に進んでみることを家族にも納得してもらえるのに、と期待していたのです。
それに大学時代にいくつか出来事があって、職場で同僚と向き合うことが少し怖くなっていました。できれば一人でできる仕事がしたかったのです。人間関係に振り回されて気分の浮き沈みが激しくなると、疲れ果ててしまうので。
大学時代に何があったかは、またの機会に。
残念ながら待ち望んだチャンスはいつも空振りで、いったん棚上げにして、もう一つの大長編『御宅魔法師』の原稿の手直しを始めました。七十数万字もあるので……直すのにかなり時間がかかります。
この間、いくつかの副業サイトに履歴書を載せて、中英日の翻訳などの案件を受けながら原稿を直そうと考えました。途中でいくつかの翻訳会社とも契約できましたが、実際に案件が来る確率は想像よりずっと低かったです(遠い目)
結局、主な案件は友人の紹介頼みで、そのほうが報酬もずっと高かったです XD
小説の続きを書く仕事や、脚本の小説化、ゲームキャラのストーリー執筆、共同創作なども引き受けましたが、それはまた別の話。今度お話しします。
あの頃のことは覚えています。手元の原稿が採用されるかもわからず、翻訳の仕事も少なく、仕方なくアルバイトをしていました。毎日気分が沈んでいましたが、夢は諦めたくなかった。一気に勝負をかけたくて、せめて半年はあがいてみよう、それで結果が出なければおとなしく正社員の仕事を探そう、と決めました(もともとは案件を受けながら本を書くSOHOを目指していました)。
親戚の冷たい視線と疑いに向き合う
この頃は外に出たくなくて、友人や親戚にも会いたくありませんでした。会えば決まって「今何してるの?」と聞かれるからです。
親戚はなおさらです。答えられずにいるときの、あの見下した目と長い沈黙を、私は一生忘れませんし、忘れてはいけないと思っています。
そう、まるでゴミを見るような目でした。
何か言う気も起きず、黙って彼らの言葉で人生を決められるままにしていました——秘書になればいいのに。翻訳もいいらしいよ。どこそこの鉄工所で経理を募集してるって、応募してあげようか?
正直、私は昔から数字にとても弱いのに、どうして経理の仕事に放り込もうとするんでしょう?給料がもらえないだけならまだしも、損失まで出したら洒落になりません XD
そして私が反応しないと、彼らの目つきはさらにひどくなりました、ふふ。
正直、自分でも何をしているのかわかりませんでした。成績も悪くなく、真面目な優等生だったのに、卒業したら家にこもっているなんて。彼らの目には、現実から逃げて苦労を避けているように見えたのでしょう。でも、小説を完成させるのにどれだけの時間と気力と根気が要るか、退屈な推敲に向き合うのにどれだけの粘り強さが要るか、彼らにわかるはずもありません。
しかもそれを何度も何度も繰り返して、一つひとつ物語を完成させていく。それがどれほど大変なことか。
彼らの目には、(大)金を稼げないものは、ただぶらぶらしているのと同じなのでしょう。
実は、彼らの気持ちもわからなくはありません。結果を出せていない人が夢を追いたいと言っても、確かに説得力はありません。でも出版社が出版してくれない以上、私にはどうしようもなかったのです。
当時の私は孤立していて、世界中が敵に思えました。自分でさえ、本当に私が間違っているのかと疑い始めました。人と違う道を歩みたいと思ったら、こんなにも冷たい視線にさらされる運命なのでしょうか?
それに、私に本当に才能なんてあるの?
それとも、すべて私の思い込みなの?
当時はみんなが無理だと思っていましたが、私はしぶとく諦めませんでした。
どこからそんな勇気が出てきたのか?自分でもわかりません。
半年だけ、夢に賭ける
周りは成功した手本ばかりで、それがプレッシャーにもなりました。私はその期間を夢に賭けることにしました。半年以内にほかの出版社と契約できなければ、きっぱり諦めて、そんな非現実的な夢はもう見ない。夢では食べていけないと認める、と。
でもこの期間だけは、どうかわがままを通させてください。
当時は、自分の手も見えないほど長く暗いトンネルを歩いているようでした。その中をひとり手探りで進み、転んだり壁にぶつかったりしても、誰も手を差し伸べてはくれません——自分で選んだ道なのだから。自業自得、バカだ、と。
友人たちも手の打ちようがありませんでした(あんなに意地を張るなんて、何かに取り憑かれたと思っていたでしょう XD)。涙は流れては乾き、乾いては流れ、最後には涙も出なくなって、ただひたすら書き続けました。ストレスでよく体を壊し、最高記録は皮膚科で、免疫力が落ちすぎていて一度に10種類の薬を処方されたことです……台湾の健康保険は本当にお得(違う)。
あのとき打った一文字一文字、流した一滴一滴の涙が、今の私をつくったのです。
あの絶望的な日々の中で不思議なことに、心の奥でずっと「絶対に諦めるな」と言う声がしていました。でも、いつまで耐えればいいのかは教えてくれませんでした。
しくしく、次に予知を届けるときは日付も詳しく書いてください。カウントダウンでストレス解消できるので(笑)
あの頃の自分へ
今思い返すと本当に不思議です。あの声は未来の私からだったのかもしれないし、本当に何か神秘的な力があったのかもしれません。当時の自分にも感心します。いったいどこから続ける自信が湧いてきたのか。でも、あの絶望の中を本当に耐え抜いてくれた当時の自分に、心から感謝しています。
あの頃の私の頭をなでて、ぎゅっと抱きしめてあげたい。

今の私をつくってくれてありがとう。今、私はけっこう元気にやっているよ。
ちなみに、今でも壁にぶつかったり迷ったりすることは減っていないけれど、夢へのこの険しい道を確かに前へ進んでいることははっきりわかる。それは全部あなたのおかげだよ。
あなたがいちばんつらいどん底を耐え抜いてくれたから、私は今の景色を見られている。今もまだ中くらいのところだけど、谷底をさまよっていた頃よりずっと空気がおいしい。新しい仲間や友人も増えて、たくさんの出版社ともつながりができて、たまたま誰かが私の話をしているのを聞くこともある。前よりは、少しは見てもらえるようになったかな?
平行世界のあなたが、どれほど強い決意で夢を追っていたか、私がいちばんよく知っている。あなたの孤独も悲しみも、よくわかる。いつもひとりで黙々と頑張っていたね。本当にお疲れさま。
心配しないで。あの日々のことは忘れない。私の心はいつもあなたと一緒だよ。
転んでも大丈夫。また立ち上がればいい。
泣いても大丈夫。笑い方さえ忘れなければいい。
私はそばにいるよ。あなたはひとりじゃない。
あと一日、あと一作、頑張ってみよう?
きっと見えるよ。雲が晴れた青空にかかる、いちばん美しい虹が。
顔を上げて、とびきりの笑顔を見せて!
よくある質問
鬱兔も親戚から見下されたことがあります。結果を出せていないうちは説得力がないと理解したうえで、自分に期限を設けて全力で勝負しました。
鬱兔は半年と決め、その間に出版社と契約できなければ諦めて正社員の仕事を探すつもりでした。はっきりした期限を決めれば、夢を追いながらも最低限の線を守れます。
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著者について
鬱兔は台湾のライトノベル作家・小説家VTuber。業界歴10年以上、紙の商業出版は40冊に上ります。『遺失的情書』で台湾文化部の若手創作助成(2022年度)を受賞。『嘿!聽說妳在鬼島當作家』シリーズでは、台湾で小説家として生きる日々を綴っています。


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